紀伊・熊の古道 3日目

今日の計画は約30k歩く予定
しかし心配した雨に見舞われる。語り部さんと
相談しながらの一日になりそうです。意気込みは
いいのですが・・・どうなりますやら。ファイト!

平成17年3月28日

宿泊所10:00発・・バス10:30発〜発心門11:20着・・発心門王子11:35・・(昼食)発心門12:15発・・伏拝王子13:37着・・大斎原13:50着・・大日越え14:15発・・・湯の峰温泉15:30着

雨の古道
足場が悪いのでロング・カット!

雨が気になり祈る気持ちで朝を迎えたがやはり今日は絶望的。しっかりと降っていたが、ザーザー 降りではなかった。

折角歩くつもりで来ているんだから歩こうという気持ちはみんなの中にあったと思う。

古道の地図
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しかし昨日からの歩きっぷりを見ての事だかどうだか知らないが、語り部さんの経験からか継桜王子、中ノ河王子、小広王子、岩神王子猪鼻王子と17.7 kがカットになってしまう。
個人的にはうれしいような残念なような複雑な心境。
 
バスの通る道その間はバスで一走り。約40分位かかる。

発心門で下車。明治末期の神社合祀後、王子神社遺址の碑が立つだけであったが近年に社殿が立てられてやはり赤く塗った建物。

発心門はいわば本宮大社の入り口だそうです。

この近くの休憩所にてお昼ご飯になる。屋根があるところでよかったが雨のため少し寒い。トイレも水洗できれい。
竹筒の水筒のお茶を飲んでいると、同じ所で休んでいた方が

どこでそれを買ったのですか?
と水筒を指差し聞かれた

これは・・・と説明して非売品である事を納得してもらう。
なんだかとても残念そう。
筒の周りには大分記念スタンプが、赤く集まっている。
一寸得意な気持ち。

45秒待って下さい。必ずやります?

貝母ゆりしばらくはバスの道路を歩く。そしてそのまま集落の中を歩くようになる。

途中田畑に水車があって道路沿いに夫婦の案山子が立っていた。烏よけかな?と思ったら

“45秒待って下さい。必ずやります!”の看板。

何をやるのかな?と期待して見ていると、桶に水が溜まると下に落ちその弾みで案山子の手がバンザ〜〜イをする仕掛け。ギャハ・ハ〜!面白い!
愛嬌があって楽しい。写真とっておけばよかった。ん・・・。

この花は「貝母ゆり」、友達の好きな花で珍しい。というのでパチリ。
発心門→1.7k水呑王子

本宮に近い水呑王子

水呑王子もと小学校分校の敷地であった広場の一隅に、水呑王子と刻んだ緑泥片岩の碑がある。

この王子名は古いいくつかの記録では内水飲みとなっている。これは、大門王子(中辺路町)付近の休息地水飲と区別する為の称であったかと見られる。
歯の地蔵ここにもまた歯痛の地蔵さんがあった。

村の人たちはきっと、針地蔵尊のように、ここに来れば歯の痛みが直ることを願ったのであろう。

やはり歯痛は免れないもののようです

信ずるものは助かると言った精神なのでしょうね。 きっと。

雨の古道と石畳とスギの芽

しっとりした古道
(写真大きくなります)
この古風なたたずまいには、晴れの日は勿論いいけれど、雨もまたしっとりとし、もやが掛かって幻想的で、風情があって良いと思う。

身分の高い人は牛舎に乗って古道を進んだとか・・・坂道も大丈夫だったのかしらね?

こういった石畳の道は古道にふさわしいと感じる。
苔むした古道の岩岩に苔がはびこり、杉の芽がひょっこりと、右上に顔をのぞかせている。

古道の中の一員としてしっかりと根を張って育っていこうとしているように思え新鮮に見えた。

しばらくはこのような風情のある古道をひたすら歩き、堪能する。雨もまた好しといったところ。負け惜しみではありません。

和泉式部が伏して拝んだ 伏拝大社

伏拝王子古道を進んできて初めてここで熊野本宮大社の森が見えてくる
参拝者はここから大社の社殿を伏し拝んだと言われる。
熊野の地は誰にでも開かれた聖域だそうです。

この王子は後鳥羽院御幸記その他の中世の記録には出ておらずに、後世になって設けられたものと見られる
 
伏拝王子看板石造の小いほこらが、まつられていて、それと並んで平安時代の女流歌人和泉式部の供養塔と言われる笠塔婆がある。

男勝りの和泉式部はここに来て月のものが来てしまいけがれてしまう。そこで和泉式部は次の歌を大社に対して詠む

「晴れやらぬ身の浮き雲の
たなびきて 月の障りとなる気ぞかなしき」と伏し拝む。
熊野の神が
「もろともに塵にまじわる神なれば月の障りも何かくるしき」
と返歌し、無事に参詣を許されたそうです。
粋な計らいを感じる

昔は女は不浄の者とされていたようですが、まったく今から思うと失礼よね。自分がその頃に遭遇していたならやはり、それがあたり前の考えになるのでしょうかね? 考えられない!
水呑王子→伏拝王子1・9k

古道と朝ドラ『ほんまもん』ロケ地

ほんまもんロケ地

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山を下りるとまたアスファルトの路に出てしばらく歩く。

なんでもこの辺はNHKの朝ドラ『ほんまもん』のロケ地であったらしい。
さすがプロデュースする人は良い場所を見つけるものですね。

茶畑の後ろに古道がひっそりとたたずみ、良い眺めだと思いませんか?
ほんまもんロケの家わたしはこのTVは見なかったのですが、見ていればもっと親密に感じたかも?

このお家(住んでいる人家)が使われたらしく家主が得意げに訪問客に当時の撮影風景の写真を見せたりスタッフと2ショットの写真を披露していた。とても得意そうに話していました

蘇生の森とは?

本宮に通じる路茶畑を後に、再び古道に戻り、本宮へと向かう。

この頃にはすっかり雨も上がり、河童を脱いでも大丈夫。雨が降ったせいか名所では,人の話し声が聞こえるが、古道に入ると人のすれ違いがない。語り部さんの土地カンで最も古道らしい所を選んでの事なのでしょうか?ま。私たちにとっては好都合であった。静かに古道を楽しめるから・・・。
古道2でスギの話をしましたが、現在熊野古道の大部分は針葉樹のスギとヒノキの森林におおわれていて、これは本来の森の姿ではないとのこと。
蘇生の道古道の碑中辺路では岩上峠に常緑広葉樹のカシの林の中に、落葉広葉樹のブナが1本だけ混ざっているが、紀伊半島の森の植生を象徴する景色と言えようか。と書いている。

さらに南の植生であるカシと北のブナが出会って握手し、さらに針葉樹のツガ、モミ、トガサワラなども混ざってともに林をつくっていくのが理想らしい。

紀伊半島南部では何世紀にも渡って、天然の森で炭を焼き、建築用を伐り出してきた。だが森林の奥地まで林道がつくられ、機械化もはかられて、森全体をいっせいに伐採して丸裸にしてしまった。

その跡地にいっせいに植えられたのが、現在のスギとヒノキの林なのであると書いてある。こういう歴史があってこの石碑がたっているのでしょうね?

その蘇生の意味は熊野古道と共に基ずく人生の蘇生なのか
それとも古道を取り巻く美しい森の蘇生なのか?
と考えると・・・私は後の方か?と思う。

祓戸(はらいど)王子

祓戸王子看板こんなにスギがあって今流行の花粉症になりはしないかと一寸気になりながら杉林を抜けると視野が広がり舗装道路に出て渡るようにし、祓戸王子の看板の指差し方向に下りて行く。

祓戸は祓殿又は祓所と書かれることがあるが、いずれもハライドであることに変わりない。
この看板の字は又違って書かれていますね?
祓戸王子この王子は現本宮大社のすぐ裏手に当たり、杉やイチイガシの大木の影に石造の小さいほこらが奉られている。

大社の手前の王子社として、ここは旅の汚れを祓い清めるき潔蔡所であったものと見られ、それが王子名ともなったようです。さらに近くに流れる音無川の水の中をを渡って浄めながら本宮にお参りした説もある。

伏拝王子→祓戸王子 3k

洪水にあった大斎原(おおゆのはら)

大斎原かっての熊野本宮本社は現在大斎原と呼ばれる熊野川の中州に鎮座していたが、明治22年の熊野川の洪水で流出して現在の地に遷座(せんざ)したそうです。

広々とした敷地(372坪)にひっそりと写真のような、物がたたずんでいた。なんだか寂しそうね。

鉄製の鳥居 この敷地の入り口には日本一大きな鉄製の鳥居が空にそびえて立ってます。高さ33.9m 横42m。
だから遠くからはよく見え、近くで見ると、首が痛くなるほど見上げる事になる。
鳥居の中心に3本足の烏が絵ががれている。
何でこんなに馬鹿でかいのか?権力の象徴なのか?でも最近に作られたようだし(平成12年5月11日)・・・理解に苦しむ

本宮大社を守る八咫烏(ヤタカラス)

熊野本宮大社とうとう熊野を代表する熊野本宮大社に詣でる。

この大社には八咫カラス(3本足)が神の使者と言われている。とこの大社の説明に記されている。

三本足とは熊野三党(守井・鈴木・榎本)を表すとも言われ、主祭神、家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)御神徳である智・仁・勇又天・地・人の意を表している
 
烏は一般に不吉の鳥とされてきているが方向を知るので未地の地へ行く道案内や、隔地へ送る使者の役目をする鳥とされている。

天皇が奥深い熊野の山野に迷い給うた時、八咫烏が、御導き申し上げたという意がある。
熊野本宮大社
    (写真大きくなります)

(写真大きくなります)
見て!この、幟(のぼり)の石段⇒
一体何段あると思いますか?

神社仏閣に よく石段を上がる羽目になることが多々あります。という事は高い所に、というか山に祭り上げる事が多いということなのでしょうね。

山は修行の場所で、いわゆる聖地なんですね。この階段は129段あるそうです。

私達は古道を通ってここに来たものだから幸いにして、この階段を登る必要なしだったのです。よかった〜〜!
階段の両サイドには熊野大権現の奉納幟が並んでいます。
本宮大社の休み処境内にあるお休み処で、みんなの目は釘づけ。

語り部さんは早く次に行きたいようだったが、多勢に無勢・・・仕方ないな〜〜と同行。

知り合いが以前古道へバスツアーで来た折、ここによって買ってきた和菓子を思い出し、それを食べる事にする。
玄米粉をかけた詣で餅。疲れているから余計に美味しく感じた(珍重庵)

人参をぶら下げられ、大日越え

大日超え本宮から大日山を越えて湯の峰温泉に出る古道が大日越え上り下りが結構急である。

かって修験僧の神官など限られた人が、祭礼などのおりに通る特別な道だったそうです。

この看板の階段を登っていくとなぜか民家の庭を通っていく事になる。
鼻かけ地蔵登山口〜(625m)月見神社〜(419m)鼻かけ地蔵〜(830m)湯の峰と約2kの道程である。
結構きつい上り坂が続く。

40分ほどで月見神社の祠につくがこの辺は中程で、小休止。ぜーぜーした息を整えられる。

語り部の方はもうすぐ頂上である時は、“ホラ!人参だよ”と言ってくれると言う。
馬のように鼻先に人参をぶら下げられると・・・である。その度に『ア〜〜やっと頂上か〜」と思いきや又上り坂が続くといった感じで3度ばかり人参が出てきました。なるほどこういった励まし?の言い方もあるかと・・・一寸複雑

この写真は一寸見にくいですが、鼻かけ地蔵で岩にほこらが彫られていて鼻がまさしくわからない状態のものでした。この辺で丁度半分1010mこれを過ぎるとやっと下り坂。ここでも「ヤッホ・ ポイント」があり
ヤッホ〜〜と叫んでみたが、やはりはっきりとは帰ってこなかった?

小栗判官蘇生の地・湯の峰温泉

湯の峰温泉下り坂は私の得意とするところ。第一息が切れない。

くだりは膝を痛めるから登りがいい人もいる。そんなに早く下りて膝を痛めるよ〜と注意を受ける事がある。

この大日越えのくだりは、けもの道のごとく細くて急。だから早くは下りられないし、特に濡れてすべるから慎重にならざるを得なかった。肩に力が入りながらも、尻もちもつかずおりてこれて・・・ホッツ!温泉の香りと料理の香りが鼻をヒクヒクさせる。
湯の峰王子湯の峰温泉の王子社としてもとは薬師堂(東光寺)のそばに祀られていたが、明治の火災で焼失し、今は後方の山手に小祠がある。

院政期には湯峰は参詣コースから外れており、王子の存在も考えられないが、鎌倉末期の熊野縁起に湯峰童子とあるのが多分この王子のことである。

本宮参詣前にここで湯ごりを取る週間は、その頃に始まったのであろう。鳥居に掛かっているものは近年に書いたものではなさそう。古道にふさわしく年代を感じるものに思う。
(語り部の柏崎さん)                 
 大日越え→2k

宿主は元校長先生

民宿小栗屋今日の日程は大幅短縮されて約9キロの歩行・・・ガクッツ!
なによ〜〜これって予定の1/3以下しか歩いてないの・・・。

雨・雨のせいよ。なんていいながらも結構疲れた。今日のお宿の全景。裏口入学ではないが大日越えをして下りてくると裏口に通ずる道が出来ていて、知る人ぞ知るといった道の様で面白い。
小栗屋正面入り口こじんまりとしたお宿で、家族ぐるみのお付き合いをしているような感じで暖かく感じる。

今夜は最後までお付き合いしてくださった語り部のお二人も宿泊される。勿論小栗屋のご主人も顔なじみのようです。

小柄な方でニコニコと挨拶に出てきて、たわいもない会話で引き込まれていく。
なんでも元校長先生だとか。口調はまさしく先生といった感じでお話し上手。

当然宿主も語り部をなさるとの事。食後にでもこの土地にまつわる小栗判官の話をしたいという事でお願いする
スタッフ一同旅の疲れを癒すのは、なんてったって温泉。

しかし規模は小さいから大人数では仕えない。2人〜3人といった所。
次に入る人がいると思うとゆっくりもしてられないので・・・一寸がっかり。

そして次の楽しみは勿論夕食。又温泉を使ったなべが出てきた。山で取れた山菜の佃煮が珍しい(向かって右端が元校長先生)

古道に今も語り継がれる恋物語

ひと段落したところで、応接間で宿主の話が始まる。

『小栗実記」では、小栗満重が足利持氏との戦いに敗れ落城。
その子助重(小栗判官:おぐりばんかん)は、三河の国(愛知県)を目指して落ち延びる途次、相模の国(神奈川県)で郡代・横山一統の謀略で毒酒を盛り殺害されようとするが、これを察知した横山の娘、照手の機転により一命を取り留めた。
小栗判官を救ったつぼ湯
つぼ湯 小栗は藤沢へと逃れ遊行上人の助けを受けたが、口に含んだ毒酒の害で、目も見えず、耳も聞こえず、口も利けず、といった重病人(飢餓病)の姿となる。

一方、照手も家を追われ、流浪の身となり、苦難に満ちた日々を過ごしていたが、家臣らの助けもあり小栗判官との再会が叶う。
しかし小栗判官の病は以外に重く照手の強い思いで、治療のため、歩行もかなわぬ小栗を土車に乗せ、人の情けを頼りに熊野湯の峰を目指しての道行きとなる。

熊野権現の霊験と湯の峰での湯治が奇跡を呼び本復が叶い、元の小栗となる。二人はその後、幸せな暮らしを取り戻した
といったストーリーで、小栗屋の中にはこの話にまつわる絵が掲げられていた。

心地よい話は子守唄


ところで、お腹は一杯、暖房はがんがん炊かれていて汗が吹き出るほど。話の前には小栗判官に関するビデオを見るが、なんだか瞼が上下仲良くなり始め、コックリコックリ・・・!

皆はどうかな〜〜と見渡すとやはりもう眠そうな顔。何とか、とりつくろっている。2時間ぐらいだったと思う。宿主は一生懸命お話しているので悪いと思うが、睡魔に襲われてしまい内心早く終わらないか・・・とも思ってしまった。

今日一日案内していただいた語り部さんが気を利かせてか、皆さんお疲れのようだし・・・と切り出してもらってやっと終わる。興味あるお話なのでもっと聞きたかったが何しろ眠い!
ごめんなさい。
誰とも話しする気力ありませ〜〜ん!!そしておやすみなさい
       
明日に続く
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<参考文献>
・FREE MAGAZINE(和歌山毎日広告社)宇江敏勝氏
(社)和歌山県観光連盟:パンフレット
小栗屋 安井 理夫著 熊野信仰と小栗判官物語より

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