紀伊・熊の古道 2日目

さ〜〜今日はいよいよ古道入り
天気もよくトレッキングには最高
どのような古の方々におめもじ叶うのか?

平成17年3月27日

暁8:30発〜田辺駅9:10着(案内人と待ち合わせ)田辺駅10:15発ーJRバスー滝尻10:57着(熊野古道館小休止)滝尻王子11:20発・・胎内くぐり11:52・・乳岩11:57(弁当)12:20発・・不寝王子跡12:30・・剣ノ山、12:57・・下山13:20・・高原熊野神社14:02・・案内人の家14:20着(1時間20分話を聞く)15:40発〜箸折峠16:15発・・牛馬童子16:30・・近露展望台16:54・・近露王子跡17:14・・近露民宿17:30

紀伊田辺駅にて語り部と待ち合わせ

田辺駅一寸変わり者の暁の宿主に別れを告げ、今日からお世話になる古道の案内人との約束の時間まで紀伊田辺駅にて待つ。

NPO法人の方で、ボランティアをしてくれるとの事、心強い味方です。今日初めてお会いするのでどのような方か?一寸どきどきわくわく?

この駅には田辺の三大有名人として、武蔵棒弁慶と南方熊楠(みなみかたくまぐす)と植芝盛平の絵が書かれている。弁慶は知っているが後の2人は誰?南方さんは世界的博物学者。
植芝さんは合気道の開祖。なんですって。
熊の古道の地図やがて想像通りの年、格好の方達が現れ、簡単に挨拶を済まして紀伊田辺駅で中辺路から本宮に抜けるルートの地図があるのでそれに沿って今日歩く所の説明を聞く。

早速今日の予定をこなすべくJRバス10:15発にて中辺路と向かう。紀伊田辺駅から約40分。滝尻に着く
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へ〜珍しい竹の水筒

熊野古道館バス駅から滝尻橋を渡ると熊野古道館がある。
町内の12の王子社にちなんだ12角形の建物が目印。

ここには中辺路の情報拠点で滝尻王子の向かいにあって、平成6年町づくり特別対策事業の認定を受け、建設されたと説明あり。

歴史紹介を兼ねた休憩施設で靴の紐を結びなおすため寄る。案内役の方は千品さんと柏崎さん。その千品さんが手に持っていた紙袋の中から紐のついた筒をおもむろに出す。な〜〜に??
竹の水筒手作りの竹で作った水筒。水を入れる穴と空気穴とが2個小さく開けてあり、割り箸を削って作ったその穴をふさぐ栓が着いている。

ペットボトルでは山において捨てる事が出来ない。しかしこれは竹だから自然に戻る事が出来ると言う説明。成るほどね〜。自然を意識しての計らい、粋ですね!

そして竹とはわからないぐらいに表面がつるつる。ここに立ち寄るポイントの記念印が押せるようになっている。心のこもったプレゼント。タダの筒のようだが、これを作るには大変な行程があって手間がかかる様子。

5人分も作っていただき
“ありがとうございます”

熊の古道入り口は滝尻王子から

滝尻王子 熊野霊域への入り口熊野九十九のうちでも最も重要視された王子の一つ。社格の高い五体王子であった。川の合流点にあたり、古道は背後の剣ノ山へ登るが、ここが熊野の霊域の入り口とされている。

気を引き締めて歩き出す。30分歩いた所に胎内くぐりという場所があるが、今では通り抜けられない。5分も歩いた所に乳岩がある。ここには不思議な言い伝えがある。
乳岩奥州平泉の藤原秀衡が、妻が身ごもったお礼に妻と共に熊の神社参詣した。本宮に参る途中、滝尻で妻は産気づき、出産。赤ん坊を連れて熊野詣は出来ないと、その夜、枕元に立った熊の権現のお告げにより、滝尻の裏山にある乳岩と言う岩屋に赤子を残して旅を続ける。残された赤子は山の狼に守られ、岩から滴り落ちる乳を飲んで親が帰って来るまで無事に育った。この赤子は後の泉三郎佐忠衡である。

と柏崎さんの語りである。この話を聞きながらの昼食。狼少年の話を子供の頃に聞いた事があったが勿論これとは別の歴史にある話であるが、まんざら無きにしも非ずといった感じをうけた。

寂しい不寝王子跡

不寝王子跡歴史を知らないというのは不便ですね。語り部の方にこの人知ってますか?こんな話知ってますか?と言われてもいつも首を横に振るだけ・・・情けない。せっかく古道を歩くのだからもうチット勉強しておけばよかったと思っても後の祭り。

乳岩から100m登ると不寝王子跡。滝尻→0.5k 周りに何もなくこの石があるのみ。古道にふさわしくない色の道しるべがある。
ネズ王子の名称は古い記録に見えず九十九王子の内に入る事もないが、元禄年間の『紀南郷導記』にネズ王子という小社の跡があると記されている

剣の山近くにヤッホーポイント

乳岩から急な上り坂

踏ん張って登り剣の山経塚跡にたどり着く。ここからは少し平坦な路となり息がつける。

経塚跡の説明には、経伝を経筒に入れ、それを壷に入れて地中に埋めた場所と記されている
剣の山経塚跡に展望台の分岐点があり、この近くでヤッホポイントがあって、息を整えながら

ヤッホ〜〜!と叫んでみる。

あまり返事が返ってこなかった結構叫んだんですが・・・。

この姿からするとチョとお疲れ気味なのかな?
一寸下り坂
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針地蔵尊さてさて又階段や石畳の登りが出てくる。昔の人は着物姿でよく登った!と感心する。

やがて針地蔵尊の看板。
もう少し古道にあった風合いな物に出来ないんでしょうかね?

地域の人の話では、このお地蔵さんは、「歯」の守り神様で
歯が痛むとこの神にお願いし、痛みが直ったら針を3本立てて、鳥居を作って奉納したようです。
針地蔵尊今は歯医者さんに掛かって、痛みも少なくすむが、当時の歯痛は神がかりだけで相当に苦悶した事でしょうね。

でも粗食だっただろうから虫歯も少なかったかもね?
お〜〜いやだ、いやだこの年になっても歯医者さんへは二の足を踏む私なのです

この建物は最古のもので、室町前期の建物だそうだ。
糸針の供養が神格化したようです。滝尻→1.6kで標高300m位あるところなので結構高いです

ど派手な高原熊野神社

高原神社境内の大木クスノキネズ王子から30分の所に剣の山を通り越しだんだんと下り坂そして舗装道路にでる。

今回気づいた事は、いたるところに、杖が用意されている。私はいつもは杖は邪魔に思って持たないが、なぜかしっかりと、持って歩いていた。

大分疲れが見えていたのか案内の方の行為で自家用車を回してくれて、舗装の坂道で拾ってもらう。高原神社まではまだまだあるようで・・・行為に甘える。内心“ホッツ”
懸指定文化財、高原神社高原地区の氏神で、高原王子といわれたこともあった。神社に伝わる懸仏(かけほとけ)の裏面には、応永10年(1403)と明記して、若王子を熊野から勧請したことが記されている。

社殿は春日造りで、室町時代の様式を伝え、熊の街道では最も古い神社建造物である(懸指定文化財)と中辺路町観光協会のパンフより参考。

境内にはクスノキの大木
なんだかけばけばしい色ね!なんでも最近に作り直したとか・・・一寸派手好きの私でも古道にふさわしくないと思った
滝尻→3.2k

ビオトープの見える家

山中腹にある柏崎亭ま〜〜高い所に家の屋根が見える。山の中腹である。ヒェ〜〜まだあそこまで!私は足が痛くて又車に乗せてもらう。5分程で着く。平屋のお家で縁側に座ると山並みの下に広々とした畑とビオトープがある。

ビオトープはまだまだこれかららしい。自然を愛する事の現れである。古道を歩いてきた人たちをもてなすのにCoffee店
「けやき」を開いている。今日も久喜の方が尋ねて来ていた。同県人なので親しみを感じる
富山からはインターネット・市民塾の方が来ていて必然的に会うことになる。

やにわに名刺を渡されたが、私達には名刺の持ち合わせがないので少々困り気味。思いがけない出会いで市民塾と言うグループがあることを知る。

美味しいコーヒーと手作りのケーキをご馳走になり、なんとなく時間が過ぎていく。しかし田園風景が綺麗。なんでも旅の本にも柏崎コーヒー店は掲載されているとのこと。
富山の方は地元に帰る方もあってここでお別れ。私達は引き続き次の古道に行くのに再び車のお世話になる
ビオトープのある高原町

















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牛馬にまたがる童子像

牛馬にまたがる童子像国道311号にある路の駅におり階段状の坂道を上り詰めると箸折峠。

うっそうとした木々の中に膝したの高さの童子像が静かに牛馬にまたがっている。右側に役行者像が並ぶ。

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童子は弁財店に仕える十六童子の一人であるが、近年花山法皇の熊野御幸の姿であると言う説もあるとか。

花山法皇は17歳で即位するが、藤原兼家の陰謀で出家したつ言われる。愛するものに死に別れ、親しい者に裏切られた傷心を抱えてささやかな共を連れて熊野に向かいここで休息したという。

熊野古道の本や案内パンフには必ずこの童子が乗っているほど有名な石仏。なぜ牛馬にまたがっているのか?2頭にまたがるほど足は長かったのか?と疑問を語り部に問うが、わからないそうです。ま、珍しい石仏。これを見ずして古道を語れるのか〜〜といった感じ。

又説明板には、昔此処に「君ヶ茶屋」と言う茶屋があり、花山院がこの茶屋にお休みになり食事をしようと思ったが、箸がないので、萱を折って箸の代わりとしたが、その折った所より赤い汁が流れたのを見て院は血か露かと尋ねられた。その為この地を近露と呼び峠を箸折り峠と言うと書かれてある。

自然破壊にならない杉の箸・爪楊枝

箸折峠の杉林箸折峠から杉林の中の道を下りると眼下に中辺路町近露の里が眺望できる。杉林を歩きながら杉に関しての話に花が咲く。
杉の切ってある丸太が杉林に転々と転がっている。なんで?間伐してあるそうです。

間伐しないと杉が上手に生長出来ない様です。そして。切った杉は箸、爪楊枝になって利用されている。この話を聞くまでは、私は箸の存在を自然破壊につながると思っていた。やたらと木を切って・・・もったいないと思っていた
しかしそうではなかった。それじゃ初めから隙間を開けて植えれば良いと思うが、全部が全部杉だってうまく育つわけではないのでそうは行かないんですって。

又間伐したものは肥料となって杉を育てる役になるので欠かせないものであるとの事。上手く考えてあると感心させられました。


天にも伸びそうな杉木立
木を切って乾燥させるには
 @枝葉を付けてある物
 A枝葉を付けない
のとではどちらが早く乾燥するか?

答えは@で葉っぱから水分を蒸発させるので乾燥が速い。

杉の形で
 @天辺が尖がっているのと
 Aそうでない丸い形のもの
ではどちらが成長期にあるでしょうか?

正解は@
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頭打ちと言う言葉、はそれ以上伸びない例えであるように、ひょっとしてこういったことから言葉が出来たのかも?
それに杉とヒノキの違いを知る。杉の葉は細くヒノキは平べったい形。又杉の年輪の見方を教わる。

このような山奥にも昔の人は水路を引いていた。地面に這わせてあるもの、木々に渡して作ってあるものとあったと言う説明。黒モジになる木も初めて見る。成長が遅い木だって。色々と勉強した

今日の締めは近露


杉のあれこれを聞きながら牛馬童子より20分歩いた所で近露展望台に出る

中辺路町の里である。中心より少し右下に見える木々のあるところが近露王路である。日置川に架かる北野橋を渡ると左にある。

ここは古い記録に近津湯王子と記録され、出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)筆の「近露王子の跡」という文字が自然石に刻まれている。
近露展望台

                      (写真おおきくなります)
近露王子跡と刻んだ自然石最も早く現れた王子の一つで、鎌倉末期の熊野縁起では准五体王子にあがっている。
参詣者は古くから川でみそぎをするのが習いであった。後鳥羽上皇は和歌会を催していた。

「世をてらすかげとおもへは熊野山こころの空にすめる月かな」と詠んでいる。
八咫烏の絵の入った石碑

近露王子と刻まれた石碑には八咫烏(やたガラス)の絵が彫られている。
日置川の河川敷に下りてしばらく歩く。流木が横たわったりしていて、何故このような木が流れてくるのか不思議。川のせせらぎだけが聞こえ人の話し声がしない。日曜日だと言うのに子供の声すらしない?山里なので人口も少ないせいもあるのかな〜〜?なんて思っているうちに今夜の民宿(ちかつゆ)に到着17:30

温泉なべの豆腐の美味しい事

近露(民宿)夕食には別行動された富山の市民塾のお二人さんもご一緒で、又現地の杉管理の方も加わってのフリートーク。

ここの民宿の名物は鮎のシーズンでは鮎飯だそうだが今は無く代わりにキジご飯。食べれないとなると余計に食べたい鮎飯!。勿論キジご飯も中にお野菜も入っていて色合いもよく美味しいでしたわヨ。

第2の自慢の料理として温泉で炊く鍋。
はじめての経験。豆腐が一風変わった味に感じた。その柔らかさも温泉で煮た為に出来る柔らかさである。一味違う美味しさ。不思議ね。
どの温泉のお湯でも同じ様になるのかしら?
質問するのを忘れました。

地元の方との語らいも私にとっては懐かしい関西弁で疲れも取れて和む。今日、杉山を通ってきた感想を言って欲しいと管理の方が聞くので感じた事を述べた。話の中でとても杉山を愛しているし又古道を大切に思っている事が伝わってくる。

温泉は“上小野温泉 ひすいの湯”というもの。通りすがりの人も利用出来るが、決まった時間しか使えず一寸残念に思う。でも中辺路では初のこちらの温泉、髪を「ヒスイ」のようなツヤにする働きもあるという。

さぁー!これからおばたりあんの好きなお喋りをしようと思ったが、仕切りが薄くて話し声が聞こえるらしく,“明日は早いから静かに・・・” というお叱りを受け、ちょん!!スミマセン!天気予報では明日はなんだか雲行きが良くないらしい。余計に気がふさぎこむ。

明日天気にな〜〜れ!!
明日に続く
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