思い出の上高地

短期大学を卒業して何年経っただろう
思いがけず上高地に集まろうというメールが入った。
イヤ〜〜もう二つ返事で気持ちは上高地へはせる
青春に戻れそうな気がしてウキウキ・モード

平成18年7月8・9・10日
1日目 新宿発(9:00)あづさ9号==塩尻着(11:46)塩尻発(12:20)観光バスーー茶店(プレイエル)にて昼食(1:00)−−上高地バスターミル(15:30)・・・白樺荘着(16:00)・・・上高地・散策(1時間30分)泊
2日目 白樺荘発(8:30)・・・上高地バスターミナル発(9:00)−−大王わさび工場着(10:30)〜見学〜わさび工場発(12:30)−豊科IC<長野道>塩尻IC−ー奈良井宿着(13:00)見学・・・徳利屋にて昼食(13:40)奈良井宿発(15:20)−−イヅツワイン着(15:20)〜見学〜イヅツワイン発(16:30)−−塩尻駅(16:35)3名京都へ帰省(見送り)ーー蓼科・エクシブ着(18:00) 泊
3日目 エクシブ発(9:50)−−バラクラ・イングリッシュガーデン着(10:00)〜
見学〜ガーデン発(10:45)−−ホテルハイジ着(10:50)お茶〜ホテルハイジ発(11:30)−−車山着(12:10)←リフト→車山頂上着(12:35)〜車山発(13:10)−−沖田店着(14:00)昼 沖田店発(14:40)−−上諏訪着(14:50)上諏訪発(15:45)あづさ26号==新宿着(18:06)

初めての旅・苦い思い出・上高地

あずさ9号の座席 私の青春時代は京都にあります。何の苦労もなく学生生活を過し、短大を卒業する時に、卒業記念に親の許しを得て友達同士だけで初めての旅行をしました。それが「上高地」だったのです。

当時何処に行きたいか?
なんて何の希望もありませんでした。
ただ親でなく友達だけでの旅行が夢のようで、何処でも良かったのでした。
今から思うと、優柔不断で無知な自分に腹立たしく思いました。上高地がどういう所かもわからず、旅行と言えばスーツケースに帽子、ワンピースにハイヒール、というパターンでした。当日も何のためらいもなく意気揚々とひとり立ちが出来る喜びと、開放感で胸いっぱいでした。

京都から特急に乗り松本へ。
それからどういうルートで行ったのか覚えがありませんが、着いてびっくりした事、それは人々の出で立ちでした。汚い手ぬぐいを首に巻き、リュックサックを背負い、当時人気のあるマスコット“ダッコちゃん”が腕に絡み付いていました。

道はデコボコで、ヒールがきつく感じて歩いた事を覚えています。又いつも両親との旅は構えのある旅館ですが、その時は河童橋近くの山小屋風の貧相な旅館でした。又部屋はふすま続きで、お隣の話し声がよく聞え眠れなかった事も記憶にありました。

場所を移動して、「美ヶ原」で、又汚らしい山小屋風旅館での出来事です。
忘れもしない。やっと寝たかと思ったら・・・“ご来光ですよ〜〜”
4時頃だったと思いますが起され、「何? ご来光って」
と友に聞いた事がありました。
とにかく面白くない旅行となり帰りの特急では口も聞きたくなかった
苦い思い出の上高地です。

懐かしい関西弁!駅構内に黄色い声

初旅行に一緒に行った友達も参加することを聞き当時のことも話せると思い意味深く塩尻駅に下り立ちました。京都から4人関東から11人現地の1人と合計16名が七夕が飾られている塩尻駅に集まりました。

“いや〜面影があるわ〜”まるちゃんやろ?
“ほんま、なつかしぃな〜”記憶をたどりながら何とか名前を思い出し、関西弁丸出しの再会となりました。

“どないしてんの?”
“まだまだべっぴんさんやな〜”
“お孫さんは何人?”
“旦那さんは・・・”

と矢継ぎ早に駅の改札口である事も忘れてでワーワーキャァキャァ。聞きたい事が一杯。
一気に学生気分。
塩尻構内の七夕飾り
ワインの樽の広告 塩尻駅前に
ワインの広告
手鞠柄のバス
16人にはもったいない様な大きなチャーターバスです。
貼り付けの手鞠のマークが印象的です。

今も感動の穂高・河童橋・梓川

梓川と穂高連峰 手鞠付のバスがずっと私たちの移動に同行してくれる。上高地バスターミナルでバスを降り、梓川の川べりを歩き昔に見ただろう景色を見て、懐かしさを感ながらホテルまで散策。歩くうちに河童橋が見えてきた。

雄大な穂高連峰が雪化粧を残してそびえ立っている光景が目にまぶしい。
ア〜〜!穂高。お久しぶり〜〜!感激!
もう何十年をもタイムスリップしたようで、その姿はあの時のままにあるように思えた。
(写真大きくなります)
河童橋と穂高連峰 上高地、人気のスポット、河童橋からの穂高を見ようと、観光客がひっきりなしに右往左往して、写真のポーズが橋の上で繰り広がっていた。

昭和2年芥川龍之介は、河童橋周辺を舞台に風刺小説「河童」を書いたと説明がある。読んでみようと興味がわいた。
白樺荘から見た河童橋

リニューアルの白樺荘・昔の面影なし

ホテル白樺荘の看板         白樺荘の中
“イヤ〜ダ! まるちゃんこの白樺荘ってあの時泊まった旅館え!”
と友の声に
“エ〜ッ、ほんま??”
全然雰囲気も違って綺麗になっていた。名前が同じだから間違いないと自信に満ちて言ってくれた。
フロントで確かめてみた。やはりリニューアルしたとの事。
“わ〜〜すご〜い!感激やわ・・・”
イメジチェンジで昔の面影はありませんでした。
時代の流れを感じる一瞬。
皆さんのスタイルは、ハイヒールでないにしても昔の私と同じです。そして他の観光客もザックを背負う姿は少なく、交通の便もよくなり時代も移り変わり誰でも簡単に、こられる場所になったのでしょうね。
お部屋の振り分けと幹事さんは休む暇なく・・・でも楽しそうです。

森の精気と戯れながら世間話

治山林道のせせらぎ 木立の間を流れる梓川。せせらぎの音が心地よく聞えました。 穂高奥宮の碑

穂高神社の奥宮

10月8日にお船祭
が行われるようです。
明神一の池

明神一之池

原生林の中にある池はマガモが生息し、割合に大きな池です。池の背景には明神岳の斜面が迫っている。
明神池より明神岳を望む
(写真大きくなります)
河童橋から治山林道を梓川右岸で
明神橋まで所要時間としては70分掛かります。
私達はゆっくりと森の精気と戯れながら世間話を交えて歩いたので時間はたっぷりと使いました。

この橋を渡って今度は左岸を歩いて元に戻ります。途中にキャンプ場があり、テントを張って楽しむ人がいました。
明神橋

明神橋


上高地での再会・健康に感謝

白樺荘の夕食いい空気を一杯吸ってとっぷりと日も暮れ、夕食を囲んでの宴会が始まりました。

近況報告を交し合いウン十年の隔たりは不思議となくて、ご飯を食べるのも忘れて又ウハハ・・オホホ・・と喋りとおしでホテルの人に「いい仲間ですね、見ていても楽しそう」と言われました。

学校を卒業してそれぞれの人生を歩みお互いに大なり小なりの悩みや、したくもない経験をしたりしても、何とか元気で過せて現在にいたりました。案を練ってくれた幹事のお陰様で、こうして思いもよらない場所「上高地」にて再会出来た事は、この上ない幸せを感じました。又如何に健康が大事と言う事も切実に感じました。

食事を終えても話は続き、場所を変えての友情を深めて時間を忘れてしまいました。ミッション系の学校だったのですぐに神に感謝を表し、讃美歌を歌いました。
“主と共にいまして・・・・・・” 校歌も不思議と忘れていませんでした。

雨音だけの散歩道、ニッコウキスゲに出会う


梓川に無情の雨

興奮の中一夜を明け、今朝は生憎と雨・・・。
でも大正池を見たくて早起きしました。
大正池まで約1時間かかる様です。朝食までに朝の散歩として出かけることにしました。

他の人にも声をかけたのですが、前に見たからいいとか、早くから歩くの・・・?とさえない返事。

なんとつまらない事でしょうか!前は前、今は今でいい景色を見る事が出来るのに・・・折角素敵な景色があるのに歩く楽しみがわからないのかな〜?

えらそうな事を言ってますが、私自身も普段は歩く事をめったにしませんがこういう場所だからこそ歩きたいと思うのです。なんて勝手な事を思いながら一人でも行く事にしました。

“私も行く〜〜”とお連れが出来ました。山歩きが好きで、よくトレッキングに行かれる様です。趣味が合う人がいてよかった〜。一人より二人の方が楽しいものねぇ!
20分も歩いた頃少し空も明るくなり
雨も上がる気配になりました。

今まで誰一人として人にはあいませんがニッコウキスゲに出会いました。
盛りが過ぎていてチョッと残念です。

でもまだ捨てたもんじゃない、見るところあるやんか・・・!
ほんま、私達みたいやね〜?
顔を見合わせ苦笑いです。
ニッコウキスゲの群生
      (写真大きくなります)

静寂の田代橋・田代池

        

田代橋

県産のカラマツや檜だけが使われ、景観に配慮してデザインされた木橋

             田代池

田代橋から又20分の所に田代池があります。この池は正面に見える六百山や霞沢岳(2646m)等から砂礫層 (されきそう)を通って湧き出てくる伏流水に養われている。

池は枯れた水草等がそこに積もって少しずつ埋まり
長い年月をかけて湿原になっている。

昭和50年の夏大雨で大量の土砂が流れ込み池の半分が埋もれたと説明書きがありました。

朝もやのかかる幻想的な大正池

朝もやの大正池 田代池からさらに20分、雨でぬかるんだ道を進み、心に描いた大正池が開けました。昔はもっと白樺の木が池の中にあったように思いましたが、今はなんだかその白樺の木も無い様で寂しい感じに思いました。
しばらく悠久に浸っていました。

説明によると大正4年焼岳の噴火によって梓川がせき止められて出来た池。昭和12年の芥川賞作家、尾崎一雄は登山をもとに名作「焼ケ岳」を書いたそうです。
(写真大きくなります)

サルが去る

おっぱいをあげるおサル 活発なサル
ホテルに戻る途中におサルの一家に出会いました。
私達の気配でサルは低いうなりを立てると小猿が何処からか現れて、それぞれの親ザルの背中に、お腹に飛び移ってしがみ付きました。怪しい物ではないのよ・・・と言いたいのですが警戒心が見えました。

以前おサルが沢山いる公園で「サルと目を合わせないでください」と言う注意書きを思い出し、そ知らぬ顔をしながら通り過ぎたかったのですが、あまりにも可愛くカメラを盛んに向けていました。こんなに側でおサルと出会ったのは初めての体験でした。
朝食の時に皆さんに話をしたら、まるちゃんに出会ったのでおサルがきっと目をそらせていたのでは・・・?
なんてジョークも飛び出し又大笑い。
むむむ・・・。
白樺荘朝食

わさび買っていってよ!せっかく来たんだから

わさびのオブジェ 清流にあるわさび

わさびのオブジェ

わさびの苗

2日目の今日は安曇野・穂高にある「大王わさび農場」見学です。黒いシートで覆われて栽培されているわさびです。万水川(よろずいかわ)と蓼川が隣接している所です。わさびは湧き水の流れる場所にしか育たない様です。
取立てのわさびお土産として生わさびが大・小に分けて売られていました。思わず脳裏には「お刺身」が浮びました。日頃は「練りわさび」です。
ちなみに「練りわさび」は西洋わさびとカラシを混ぜたもので全く別の物だそうです。

現地に来て生を買わないては無い・・・、でも旅先だから・・・と買う事を躊躇し何度も試食しては行ったり来たりのかっとうして知らぬまにわさびをにらみつけている自分がありました。

販売の人に私の心を見透かしてか、
“奥さん!家に帰るまでの包装はちゃんとするし、帰ってからは冷蔵庫に入れておけば暫くは大丈夫よ!買っていってよ!せっかく来たんだから・・・”
そこまで言われたなら度胸が決まって買っちゃいました。

わさびをする時は下からではなく茎から1cmは切り落としてそこから細かいおろし器具ですりおろした方が香りも良く辛さも良く出るのだそうです。1cmも捨てるなんて、もったいない気がしますが・・・ね。いつまでも貧乏根性みたいです。

惜しまれる水車小屋

大王わさび農場にある水車小屋 わさび農場内(万水川)に水車小屋があり、盛んにシャッターの中に納まっているので、いわれのある水車なのですか?と聞いてみました。

黒澤明監督の映画「夢}のロケ地に使われたそうです。又他のコマーシャルにも起用されて結構人気のスポットであるようです。

しかし万水川と蓼川が治水工事の為にこの水車小屋が無くなってしまう様です。関連ブログで見てみると惜しむ声が乗っていました。運良くまだ残っていて良かったと思いました。

現在ではなかなか水車小屋は見られなくなり
時の流れに流されていくのかと思うと残念です。
(写真大きくなります)

時計が止まった町・奈良井宿

奈良井塾のみやげ物売り店 奈良井塾の代表的民家(文化財)
(写真大きくなります)
中仙道木曽路は峠、谷、崖を這うようにして伸びる宿場。中山道は一里塚を頼りに宿から宿へ、村から町へたどる街道で江戸時代のたたずまいを残す道筋を歩けば遠い日に帰る懐かしさを感じると説明文にありました。
私達は奈良井宿を訪ねました。

ぬくもりを憶える「向こう三軒両隣」

奈良井宿で代表される家どこかで見た様なたたずまいです。
そうだ!私が小さい頃には何処にでもあった風景です。

京都が故郷ですから織屋さんが多くあって家と家の間の狭い路地を通る時、織機の音が、ガチャコン!ガチャコン!と聞えました。

この奈良井宿を歩いていると、耳を澄ませばそのうるさくもあった音が懐かしい響きで聞えてくるようです。

家の中の柱は、蒔きを燃やし、オクドさんでご飯を炊いたりしたので、ススだらけで真っ黒に黒光りしていたのを思い出しました。

庭という物がなく、家の前にこのようにささやかな花を植木鉢に植えて置いたもので、つつましい生活でした。今は感じられないぬくもりを「向こう三軒両隣」の言葉に憶える、奈良井宿ってそんなところです

美味しいと言われても蕎麦は キ・ラ・イ

徳利屋での蕎麦定食

手打ちそばが美味しいお昼

   
徳利屋の入り口

郷土館茶房徳利屋

雨の降ったりやんだりで蒸し暑い日です。奈良井宿を散策し、2時近くの遅いお昼となりました。由緒あるところでのお昼。昔の匂いのする薄暗い部屋です。

手鞠のバスの運転手さんも同行しているので聞くと、“ここの蕎麦はめちゃ上手い”と絶賛。私は写真をとるのでお蕎麦を借りましたが、冷やしうどんです。

いくら美味しいと言われても食べる気はありません。誰の口からも蕎麦は健康にいいよと言われますが、1万円あげると言われればきっと食べるかもわかりません?

樹齢300年の木曾桧、幅広日本一の木橋
「木曾の大橋」

木曽路の大橋

木曾の大橋

雨が又強くなってきましたが、錦帯橋を小さくしたような橋があるとお店の人に聞いたのでどんな橋なのか気になり見に行きました。又誰も一緒に来る様子はありません。

正規の道で行くと遠回りのようで、大きな声ではいえませんが、店の裏には、JR中央線が通っていて信号がないので右、左を良く見て渡ればすぐに橋に行けます。

そこを通って“いい”とは言いませんが・・・と声を小さくして忠告。

国道19号沿い、奈良井宿に掛かるアーチ型、樹齢300年以上の木曾桧で造られている日本一幅の広い木橋「木曾の大橋」

試飲したらワイン土産買い放題

イヅツワイン
本日の最後はこの旅行を担当してくれたイヅツワインの社長婦人のお店です。本人の実家は松本で清酒を扱うお家らしく、ご縁があってのワインを扱う方と所帯を持たれたとの事です。

(陰の声>う・ら・や・ま・し・い!社長婦人ょ・・・。人を羨むんじゃない!隣の芝生は赤いのよ、きっと。)

ご主人自らワイン工場を案内していただき、ワインを作るご苦労や商売の難しさを話していただきました。ワインって寝かせなくてはお金にならない様で何でも簡単にはいかないようです。私はワインは飲めないのでジュース類をご馳走になり、ただのみって言うわけにはいかないので人並みにお土産を買いました。

又逢う日まで・・・涙の別れ

こういった旅行はめったに出来ないのでもう一泊することを決めていましたが、どうしても都合のつかない方もいて京都勢の4人が「しなの20号」で京都に帰る事になりました。16時52分には又違った線路をたどりそれぞれの生活に戻ります。
絶対又来年には逢いましょうね!と約束をしてバスの中では又歌で、又おおう日まで〜〜を合唱して別れました。

残った12名はまだ話したりないので蓼科のホテルに泊まる事になりました。話の続きは番外編にておしゃべりします。上高地編はこれにて終了です。
by まるちゃん
番外編を見る 先頭に戻る

トップページへもどる

直線上に配置