思い出の上高地 |
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| 短期大学を卒業して何年経っただろう 思いがけず上高地に集まろうというメールが入った。 イヤ〜〜もう二つ返事で気持ちは上高地へはせる 青春に戻れそうな気がしてウキウキ・モード 平成18年7月8・9・10日 |
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初めての旅・苦い思い出・上高地 |
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| 今から思うと、優柔不断で無知な自分に腹立たしく思いました。上高地がどういう所かもわからず、旅行と言えばスーツケースに帽子、ワンピースにハイヒール、というパターンでした。当日も何のためらいもなく意気揚々とひとり立ちが出来る喜びと、開放感で胸いっぱいでした。 京都から特急に乗り松本へ。 それからどういうルートで行ったのか覚えがありませんが、着いてびっくりした事、それは人々の出で立ちでした。汚い手ぬぐいを首に巻き、リュックサックを背負い、当時人気のあるマスコット“ダッコちゃん”が腕に絡み付いていました。 道はデコボコで、ヒールがきつく感じて歩いた事を覚えています。又いつも両親との旅は構えのある旅館ですが、その時は河童橋近くの山小屋風の貧相な旅館でした。又部屋はふすま続きで、お隣の話し声がよく聞え眠れなかった事も記憶にありました。 場所を移動して、「美ヶ原」で、又汚らしい山小屋風旅館での出来事です。 忘れもしない。やっと寝たかと思ったら・・・“ご来光ですよ〜〜” 4時頃だったと思いますが起され、「何? ご来光って」 と友に聞いた事がありました。 とにかく面白くない旅行となり帰りの特急では口も聞きたくなかった 苦い思い出の上高地です。 |
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懐かしい関西弁!駅構内に黄色い声 |
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今も感動の穂高・河童橋・梓川 |
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リニューアルの白樺荘・昔の面影なし |
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| “イヤ〜ダ! まるちゃんこの白樺荘ってあの時泊まった旅館え!” と友の声に “エ〜ッ、ほんま??” 全然雰囲気も違って綺麗になっていた。名前が同じだから間違いないと自信に満ちて言ってくれた。 フロントで確かめてみた。やはりリニューアルしたとの事。 “わ〜〜すご〜い!感激やわ・・・” イメジチェンジで昔の面影はありませんでした。 時代の流れを感じる一瞬。 皆さんのスタイルは、ハイヒールでないにしても昔の私と同じです。そして他の観光客もザックを背負う姿は少なく、交通の便もよくなり時代も移り変わり誰でも簡単に、こられる場所になったのでしょうね。 お部屋の振り分けと幹事さんは休む暇なく・・・でも楽しそうです。 |
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森の精気と戯れながら世間話 |
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上高地での再会・健康に感謝 |
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いい空気を一杯吸ってとっぷりと日も暮れ、夕食を囲んでの宴会が始まりました。近況報告を交し合いウン十年の隔たりは不思議となくて、ご飯を食べるのも忘れて又ウハハ・・オホホ・・と喋りとおしでホテルの人に「いい仲間ですね、見ていても楽しそう」と言われました。 学校を卒業してそれぞれの人生を歩みお互いに大なり小なりの悩みや、したくもない経験をしたりしても、何とか元気で過せて現在にいたりました。案を練ってくれた幹事のお陰様で、こうして思いもよらない場所「上高地」にて再会出来た事は、この上ない幸せを感じました。又如何に健康が大事と言う事も切実に感じました。 食事を終えても話は続き、場所を変えての友情を深めて時間を忘れてしまいました。ミッション系の学校だったのですぐに神に感謝を表し、讃美歌を歌いました。 “主と共にいまして・・・・・・” 校歌も不思議と忘れていませんでした。 |
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雨音だけの散歩道、ニッコウキスゲに出会う |
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静寂の田代橋・田代池 |
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朝もやのかかる幻想的な大正池 |
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サルが去る |
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わさび買っていってよ!せっかく来たんだから |
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| 2日目の今日は安曇野・穂高にある「大王わさび農場」見学です。黒いシートで覆われて栽培されているわさびです。万水川(よろずいかわ)と蓼川が隣接している所です。わさびは湧き水の流れる場所にしか育たない様です。 | ||||||
お土産として生わさびが大・小に分けて売られていました。思わず脳裏には「お刺身」が浮びました。日頃は「練りわさび」です。ちなみに「練りわさび」は西洋わさびとカラシを混ぜたもので全く別の物だそうです。 現地に来て生を買わないては無い・・・、でも旅先だから・・・と買う事を躊躇し何度も試食しては行ったり来たりのかっとうして知らぬまにわさびをにらみつけている自分がありました。 販売の人に私の心を見透かしてか、 “奥さん!家に帰るまでの包装はちゃんとするし、帰ってからは冷蔵庫に入れておけば暫くは大丈夫よ!買っていってよ!せっかく来たんだから・・・” そこまで言われたなら度胸が決まって買っちゃいました。 わさびをする時は下からではなく茎から1cmは切り落としてそこから細かいおろし器具ですりおろした方が香りも良く辛さも良く出るのだそうです。1cmも捨てるなんて、もったいない気がしますが・・・ね。いつまでも貧乏根性みたいです。 |
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惜しまれる水車小屋 |
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時計が止まった町・奈良井宿 |
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| 中仙道木曽路は峠、谷、崖を這うようにして伸びる宿場。中山道は一里塚を頼りに宿から宿へ、村から町へたどる街道で江戸時代のたたずまいを残す道筋を歩けば遠い日に帰る懐かしさを感じると説明文にありました。 私達は奈良井宿を訪ねました。 |
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ぬくもりを憶える「向こう三軒両隣」 |
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どこかで見た様なたたずまいです。そうだ!私が小さい頃には何処にでもあった風景です。 京都が故郷ですから織屋さんが多くあって家と家の間の狭い路地を通る時、織機の音が、ガチャコン!ガチャコン!と聞えました。 この奈良井宿を歩いていると、耳を澄ませばそのうるさくもあった音が懐かしい響きで聞えてくるようです。 家の中の柱は、蒔きを燃やし、オクドさんでご飯を炊いたりしたので、ススだらけで真っ黒に黒光りしていたのを思い出しました。 庭という物がなく、家の前にこのようにささやかな花を植木鉢に植えて置いたもので、つつましい生活でした。今は感じられないぬくもりを「向こう三軒両隣」の言葉に憶える、奈良井宿ってそんなところです |
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美味しいと言われても蕎麦は キ・ラ・イ |
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| 雨の降ったりやんだりで蒸し暑い日です。奈良井宿を散策し、2時近くの遅いお昼となりました。由緒あるところでのお昼。昔の匂いのする薄暗い部屋です。 手鞠のバスの運転手さんも同行しているので聞くと、“ここの蕎麦はめちゃ上手い”と絶賛。私は写真をとるのでお蕎麦を借りましたが、冷やしうどんです。 いくら美味しいと言われても食べる気はありません。誰の口からも蕎麦は健康にいいよと言われますが、1万円あげると言われればきっと食べるかもわかりません? |
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樹齢300年の木曾桧、幅広日本一の木橋
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試飲したらワイン土産買い放題 |
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| 本日の最後はこの旅行を担当してくれたイヅツワインの社長婦人のお店です。本人の実家は松本で清酒を扱うお家らしく、ご縁があってのワインを扱う方と所帯を持たれたとの事です。 (陰の声>う・ら・や・ま・し・い!社長婦人ょ・・・。人を羨むんじゃない!隣の芝生は赤いのよ、きっと。) ご主人自らワイン工場を案内していただき、ワインを作るご苦労や商売の難しさを話していただきました。ワインって寝かせなくてはお金にならない様で何でも簡単にはいかないようです。私はワインは飲めないのでジュース類をご馳走になり、ただのみって言うわけにはいかないので人並みにお土産を買いました。 |
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又逢う日まで・・・涙の別れ |
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| こういった旅行はめったに出来ないのでもう一泊することを決めていましたが、どうしても都合のつかない方もいて京都勢の4人が「しなの20号」で京都に帰る事になりました。16時52分には又違った線路をたどりそれぞれの生活に戻ります。 絶対又来年には逢いましょうね!と約束をしてバスの中では又歌で、又おおう日まで〜〜を合唱して別れました。 残った12名はまだ話したりないので蓼科のホテルに泊まる事になりました。話の続きは番外編にておしゃべりします。上高地編はこれにて終了です。 |
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| by まるちゃん | ||||||
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